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グルメバーガーの世界感を作った東京・本郷「FIREHOUSE」吉田大門さんインタビュー

グルメバーガーの世界感を作った東京・本郷「FIREHOUSE」吉田大門さんインタビュー

東京・本郷に店を構えるFIREHOUSE(ファイヤーハウス)は、数あるグルメバーガー店の中でも元祖と言われる老舗ハンバーガーショップ。代表の吉田大門さんに現在に至るヒストリーを聞きました。
株式会社ファイヤーハウス 
代表取締役 吉田大門さん
1973年2月15日生まれ、東京都出身。15歳からアメリカ オレゴン州、19歳でロサンゼルスに、計7年間在住。1996年、22歳で東京・本郷にFIREHOUSEをオープンさせる。

きっかけはアメリカの貧乏暮らしで食べていたハンバーガー

「アメリカにいた頃は、本当にお金がなくて。当時は2~3ドルでハンバーガー食べられた時代でした」。
吉田さんのアメリカ暮らしには、日常にあったハンバーガー。お金が無い学生にとっては限られた選択肢のひとつに過ぎなかったが、ちょっと旅行のつもりで帰国した日本で、そのアイデアは生まれた。
「日本に帰ってきたとき、ハンバーガー屋さんが無いっていうのがまず一つ。それと、当時都内に2店舗くらいあった行列ができるハンバーガー店に並んで食べてみたけど、自分が毎日のように食べていたハンバーガーとはちょっと感じが違っていました」。
「僕がアメリカの貧乏暮らしで食べていたハンバーガーが、こんなふうに行列ができるほどのビジネスになるっていう感覚が無かったから、ショックでしたね。逆にこれを商売にするっていう可能性もあるんじゃないかと思ったのが、まず最初のきっかけ。その半年後(1996年)にこの店始めちゃっているんですよ」。

当初は受け入れられなかった価格とダサさへのこだわり

引用元/ファイヤーハウス 。
「オープンしたのは30年ほど前だけど、1000円前後のバーガーでいきなり始めちゃったから…みんな(お客さん)、メニュー(の料金表)を見て素通りなんですよ」。
「ちょうどオープンしたあのくらいの年に、マクドナルドが100円バーガー(編集部注)を打ち出して。憶えてます?」
編集部注:マクドナルドは1995年にハンバーガーを210円から130円に値下げ、1996年にはハンバーガー80円セールを実施。その後も99円、65円と低価格戦略を取っていた。
当時のブームとは真逆の高価格。そのレシピは全て自分で考えたという。でも、そもそも、料理経験はあったのだろうか?
「(料理経験は)ゼロです。ただ店を始める前に『こういうもの』っていうのが頭の中で出来上がっていた。アメリカではお金が無いからとにかくハンバーガーばかり食べていて、ダメな部分にも気づくんですよ。アメリカのハンバーガーは日本人が食べたら半分以上の人は『美味しくない』って言うんじゃない? 例えばパンがものすごく貧弱。肉はパサパサ。ダメなところが分かっていたんです」。
「そして、オープン当初のレシピはほぼ何も変えていない。ただ、最初はすごく大変だった」。
タワーのように積み重ねられたビッグサイズ。一口目からマッシュルームの旨味がダイレクトに伝わってきて、パティからあふれる肉汁とモッツァレラチーズが織りなすハーモニーは絶品。
モッツァレラ マッシュルームバーガー 価格/1859円
材料を揃えるのが大変だったという話は有名ですね。どういったポイントにこだわったのでしょうか?
「ダサくしながらカッコよくするっていうこと。パン屋さんと話していても、すごく大変だった。有名なフランスパンを作る店では、ものすごくソフトで上品なパンを作ってくるんですよ。で、『もう少しダサくしてもらっていいですか?』という駆け引きを30回くらい続けました」。
「パンが貧弱で焼きが甘かったりとか。アメリカの雑さは良い部分もあれば悪い部分もあって、要するに当時の日本人による日本のハンバーガーの、いくつかあったレストランってものすごく僕にとっては日本人臭かった。ちょっと雑さが必要だという部分で納得がいくものが無かった」。
見た目からしてザ・ハンバーガー。口角ギリギリまで口を最大限に開いてガブリ!「うんま〜!」とちょっと味感の語彙をなくすほど、ガツンと広がる肉の旨味と「これが本物のハンバーガーだよね」という納得できる食感に感動。
ベーコンチーズバーガー 価格/1974円。
「パテは練らない。アメリカのハンバーガーは牛肉を挽いて押して成型するだけのシンプルなもの、これも日本には無かったんです」。
「結果、オープン当初からウチのハンバーガーは日本にもアメリカにも無いハンバーガーでした。テーマは、アメリカ人のお客様に『こんなハンバーガー食べたことない』って思ってもらえること。これを最初の3年間集中したんです」。

アメリカへの想いと成功の分岐点

「駅前で365日、2年半毎日僕は外でビラまきをしたんです」と回想する吉田さん。「アルバイトのビラまきの兄ちゃん!」と声かけられたこともあったそう。
「アメリカへの憧れは無いよ。もううんざりで帰ってきたから。正直、ハンバーガーも大好きではありません。毎日の生活でハンバーガーは自分の貧乏生活にあっただけ」。
「オープンしてから2年くらい、また貧乏生活が始まるわけです。全然売れないんだから。だから、うちから独立した子たちに聞いたら『大門さんって全然ハンバーガーに興味ないですよ』って全員言うと思います」。
「22歳でド借金の中始めちゃったので、どうにかここを成功させなきゃならない、そういう思いがずっと一番強かった。興味とかそんなこと言っていられない。大変な思いをして、どうにか従業員を食わせて行かなきゃならない、正直、それだけです」。
「開業してから2年半位は売り上げが本当に大変で。ここだけの話、従業員の給料を払うのに、人から金を借りることが何度もありました」。
「それくらい大変だったから、お客さんからもいろんなアドバイスを受けるじゃないですか。『もう少し価格を安くした方が』とか『もっと小さくした方がいい』とか。でもそういうの一切受け付けないで、最初に決めたメニューをずーっと推し続けていた。そうすると、こっち側についてくれるお客さんが少し増えてきて、『これイケルかも』と思ったのが2年半後くらい。ずっと続いた赤字の売上がグッと伸びる月が出て、そこから売上が上がったんですよ。『ああ、これで良かったんだ』と思った瞬間でした」。
「アメリカ帰りの若造にとって、自分のやり方が日本流の経営の仕方に適っているかどうかは分からない。実際やり方も粗かったし、何人も辞めさせたし。模索の2年半だった。そんな中で僕についてきてくれる従業員もいて、試行錯誤して、やっぱり正しかったんだということになると自信につながりますよね。間違ってなかったんだと思ったのが2年半後くらいでした」。

人への興味

ようやく成功したFIREHOUSEだが、吉田さんには経営やハンバーガー作りとは違う情熱があった。
「それよりも人に興味がある。人と接して、ウチのスタッフも可愛がってやりたいし、成功してもらいたいと思う」。
「ハンバーガーなんて1~2週間あれば作り方は覚えられます。それより人との接し方をどうするのかの方が重要です」。
「ただ単にアメリカ好きで、ハンバーガー好きが、こういう店やっているのって寒くないですか? それよりお客さんに好んでもらえる商品を提供することの方が大事。うちに入社したい子たちが面接に来るけど…、単なるアメリカ好きでは務まらないので、そういう子たちは採用できないことが多いです」。
「せっかくウチで修業しようと来てくれた子に、お金儲けばっかりの経営じゃなくて、ちゃんと教育したいと思うんですよ」。

広がるFIREHOUSEイズム

「ウチは社員にどんどん独立しろって促しました。この業界をもっと広くしたかったんです。なので(現在のようなグルメバーガーブームの)盛り上がりは嬉しいですよ。嫁には『なんで暖簾分けして、フランチャイズにしないの』って怒られるんですが…。嬉しく思っています」。
実際にFIREHOUSEで修行した社員たちは、ブームをけん引する一流店のオーナーとして独立していった。
「最初の独立は、代々木のARMS BURGERかな? いや、茨城のHi-5 BURGERSが先か。その後、赤坂のAuthentic。で、代官山のGRILL BURGER CLUB SASAかな」。
ファイヤーハウスのホットドッグは、ちゃんとグルメドッグ! まずソーセージが食べ応えのある大きさで、噛むとジューシーで普通のランチョンミートとは違うしっかりと肉の味がする。
ホットドッグ&サワークラウト 価格/968円。
独立していったオーナーたちとは、吉田さんが中心となって交流や棲み分けをしているのでしょうか?
「僕は(独立した元社員と)集まったりはしません。そういうの一切しない方。たまに連絡が来るくらいかな。もちろん、ウチを巣立っていった連中には頑張って欲しいから、気にはなるけど」。
「なんかウチのものをパクって自分の店を開くってことに最初から違和感はない。どんどんやってくれと思っていたので。周りの方達が『なんで渡しちゃうんですか?』と思われても、僕はいいなと思っていた」。
「でも面白いことに、(ハンバーガーは)絶対に似ていない、ちょっと変化させる。これは、僕は何も決めていないのに暗黙の了解ですね」。
「あとテリトリーも暗黙の了解ですよ。僕はなんも言ってないのに…一人が代官山で店出したら、別の人間はもう代官山には出さない。みんなそういうふうにしているんです。あ、もし本郷に店を出すって言ったらぶっ●しますけどね(笑)」。

将来について

吉田さんの現在の愛車、「縦目」のメルセデス ベンツ 300SEL 6.3 1971年型。6.3リッターV8気筒 M100エンジンを搭載した、当時のフラッグシップモデル。
今の一般的なイメージではハンバーガーショップとアメリカンカルチャーやファッション、クルマとの相性が先行している気もします。吉田さんはクルマ好きという噂を聞いたことがありますが?
「いや、嫌いじゃないけど、そんなでもない。アメ車を何台も持っている感じじゃないです。今は71年製のベンツ。十数年前はジープです」。
吉田さんは今もFIREHOUSEの厨房に立っていますよね。ずっとここでハンバーガーを作り続けるもカッコ良いと思うけど…。
「そろそろ誰かにこの店を誰かに譲ろうと思っています。田舎暮らしをしたいな、どこかいい感じのところへ拠点を移したい」。
「仮に僕が60歳過ぎた時にこの店に立ってるのって『寒い』と思うんです。だからもうあとは若い奴に任せて見守りたいです」。
FIRE HOUSE(ファイヤーハウスレストラン)
文京区本郷4-5-10
www.firehouse.co.jp
ライター 鶴田茂高(ツルタシゲタカ)
気持ちいいと感じた音を多くの人に伝えたいと願う音楽愛好家。グルメ、酒、ファッション等もお伝えします。
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