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「お店ごっこ」を楽しみながらガレージに住む「HOT WIRE」石橋秀樹さんインタビュー

「お店ごっこ」を楽しみながらガレージに住む「HOT WIRE」石橋秀樹さんインタビュー

アメリカ車カスタムの世界では知る人ぞ知る、石橋秀樹さん。ホットウィール(ミニカー)をメインに置くショップ「HOT WIRE」の店長であり、フリーペーパー「IGNITE MAGAZINE」の発行人でもある。誰もが憧れる、彼のガレージ、兼店舗、兼住居の世界観を垣間見てみよう。
HOT WIRE(ホットワイヤー)
代表 石橋秀樹さん
1967年2月24日生まれ、神奈川県出身。サラリーマン兼ミュージシャンを経て、1995年に高円寺で古着店「HOT WIRE」の店長に。2013年、ホットウィールやモデルカーなどをメインに扱う現在の埼玉県にショップを移転。同時に、アメ車カスタムのフリーペーパー「IGNITE MAGAZINE」(不定期刊)の発行人。

壮観なHOT WIRE誕生の理由「僕はお店ごっこやりたい」

好きなクルマとモデルカーに囲まれた生活は、どのように始まったのでしょうか?

高円寺の古着店長の頃、最初はちゃんと建物の2階でやってたんだけど、そんな良い立地の所でやっていてもだんだんインターネットの普及とともに、店で売るのが難しくなってきて。商売で考えたら、もう無店舗インターネット販売にした方がいいじゃない。
だけど僕はお店をやっているのが好きなわけで。だんだん縮小しないといけないと思っているうちに、高円寺の駐車場に商品とレジ置いて店を出していたんです。そうすれば店の家賃払わなくて済むから。それでも『高円寺でやる意味ないんじゃん』みたいになってきて、家賃も安い別の場所にちょっと倉庫を借りようと。

最初は埼玉県でお店やるつもりは無かったんですよ。でも協力してくれる人がいて、こういうかっこいいもの(ガレージ、兼店舗、兼住居)ができたから、かっこよく並べた方がいいかなと思って。どうせなら、この雰囲気を作りたくて『僕はお店ごっこやりたい』(※)という店構えになりました。
※編集部注:実際にお店なので、並んでいる商品を買えます。インターネット販売はしていません。
物量だけで言うと、みんな『すごいですね、よくこんなに集めましたね』って言うんだけど、うちのお客さんでコレクションしてる人なんていくらでもいるんですよ。ただ僕はワーッと見えるように飾っている、この雰囲気が好き。一つひとつの細かいものが、コレクター的に間違っていても全然いい。
ウイリス「PICKUP」(1941年型)と、最近入手したプリムス「DUSTER」(1975年型)。ほかに、プリムス「ARROW」、スズキ「ツイン」、ハーレーダビッドソンが石橋さんの愛車。

モデルカーと実車4台に囲まれて羨ましい!こんな生活ができるコツはあるのでしょうか?

『なんで石橋さんはこうできるの?』とか、具体的に聞く人もいるんですよ。あと、知っている人なりに『お前はいいよな』って言う人もいる。

なんでできるのかって言われたら、僕は明日これ全部なくなっちゃっても平気だから。商品が無くなったら、またどこかで仕事すればいい。店が無くなったらクルマも無くなっちゃうけど、好きじゃなくなるわけじゃないんだし、別にいいじゃんって。また買える時に買えばいいんじゃない?っていう、本当にそういう感じ。

それに、僕の場合はモノが多くて分かりやすいのかもしれないけど、アメリカとかヨーロッパを基準にしたら、このぐらいのモノを持っていて、好き勝手な仕事で生きている人なんて、そこら中にいるわけですよ。
元はただの倉庫だった所に2階を作り付けて住居にもなっている。仲間とともに今の形に仕上げられた。

非日常が無いという生活

普通の人からしたら、この(ガレージ、兼店舗、兼住居)環境って非日常なのかも。でも僕はこれが日常で、こういう事ができていてハッピーです。
僕はサラリーマンをやってる時、同じように遊んでいるような人を見『なんで遊んでいるだけで、この人たちは生活できているんだろう』みたいに思っていました。バンドで食えてる人とか、アメ車屋さんだけどマニアックな人とか。

『苦労とか絶対無いでしょう』みたいに。だって来る客も『ワハハ』ってやってる人しかいないしね。いや、もちろん見えない部分で大変なことはあるでしょうけど、そんなものはね、平均的な人の仕事からしたら辛い内に入らない話じゃないすか。
普通の人はストレスのある仕事をして、例えば会社へ行っても楽しいって言える人は少ないと思うんですよ。僕が勤めていた時も、やっぱりみんな上司の愚痴とか言うわけです。でもそんなこといつまで言ってたってつまらないから。

そんなネガティブはただ排除すればいいんですよ。

ポジティブを求めるよりはネガティブを排除した方がハッピー

どうすれば石橋さんのような人になれるんでしょう?

世の中のリアルなところが見えてくると、ハッピーに思えなくなってくる。だから僕はポジティブを追い求めるより、ネガティブ排除する方が、もっとハッピーでいられるっていうことが、じわじわと分かっていったんですね。
僕が今まで憧れていたような人って、ネガティブを自分から避けた結果、気がついたら周りに面白い人ばかりに集まっている。僕もそういう人になりたかった。そういう憧れの人に付いていくと、自分も『これで大丈夫なんだ』みたいになっていったし、それで僕の周りにも『お前いいな』っていう人が増えていったんだと思う。

アメリカ車への憧憬

最初にアメ車を好きになったきっかけとは?

最初にクルマを買ったのは自動車免許を取った後の20歳ぐらい。その時は別にアメ車とかマッスルカーを絶対買おうなんて思っていなかったんですよ。一番欲しかったのはキャロルルックのワーゲンとか、カリフォルニアで改造したであろうミニトラック。でも高くて買えなかった。

アメ車はかっこいいけど、当時はものすごく悪いイメージしかなかった。『壊れるぞ』『金かかるぞ』『ガソリン食うぞ』みたいな。親にも反対されたし、挙句に、おっかない先輩たちが『売ってる奴らがチンピラみたいな連中だからやめとけ』っていうんだから。

でも結果的に買ったカマロRS(通称:サメカマ)にはストライプとか入ってて、かっこよかったんですね。当時買える金額だったから、何も考えずに1ヶ月で壊れてダメだったら諦めようと。それくらいざっくりした感じだった。

ところが、結局は壊れないんですよ。今思うとゾっとするぐらいクルマのこと何も分っていないから、オイル見ないし、水を見るわけでもなく、なんにもしないのに。ただ燃料入れて、でたらめな走りして全然壊れなかった。唯一ヒーターが効かなくなったんだけど、買ったお店に『修理してもらえませんか』と。すげえ金額請求されたら、そのままクルマ取りに行かないで終わるくらいのイメージだった。

後日『直ったから取り来て』って言われて、恐る恐る値段を聞いたら、『スイッチ壊れていただけだから、今回お金いらないよ』って言うんですよ。意味がわかんないとか思いながら、もう『アメ車最高! みんな乗ればいいのに』っていう感じ。そういう感じで好きになって、そのうち周りもみんなアメ車好きになっていったんです。

こだわりの境界線

ジャンルを超える自由さも石橋さんの面白さですね

僕にもこだわりはあるんだけど、ジャンルは気にしなかったかな。音楽は好きだけど、子供の頃からYMOとストレイキャッツを同時に聞いていたし。クルマは好きだけど、年式とかはどうでもいい。乗っていて楽しければ、ホットロッドとかアメ車じゃなくてもいい。

バンド活動とクルマ活動の選択はあったのでしょうか?

最初のカマロを手に入れた頃、サラリーマンをやりながらバンド活動もやっていて、バンドでの収入は無いに等しいから、クルマとバンドのどっちを維持するかという選択があって。その時『いや今俺クルマちょっと手放したくないな』っていう気持ちがあったんですよね。

僕はクルマを選んだ。もうバンドは遊びでいいやと思って。そうしたら、なんか楽になったんですよ。これでいいんだと思えた。余計にクルマのことが楽しくなってきて、それまでライブハウスやレコード屋さん行ってたみたいに、今度はクルマ屋さん行ったりすると、このクルマ関係の知り合いができたりして。それがまた楽しくなったんですね。
石橋さんが発行・編集・取材・執筆しているフリーペーパーIGNITE MAGAZINEには、石橋さんの強いこだわりが凝縮されている。例えば、フェンダーミラー車はこれまで1台も載せていないという。
引用/HotWireフェイスブックより。

HOT WIRE

埼玉県さいたま市岩槻区城町 1-2-46
撮影/能勢博史
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