TRAVEL
2026.09.13
箱根に涼を探す、森と水のあいだで過ごした贅沢な2日間
箱根・強羅の高台に、涼だけを目的に訪れた1泊2日の記録。テラスを渡る水音、湯上がりの静けさ、行きずりの外国人夫婦とのほんの数秒の頷き合い。涼しさとは気温の数値ではなく、耳や肌がおぼえている感覚なのかもしれない。
光の色が変わっていく高台、箱根・強羅 佳ら久
新幹線が小田原に着く頃には、すでに東京とは違う暑さの質感があった。西口の新幹線改札を出てすぐのロータリーで、迎えのバスに乗り込む。小田原から45分ほど、山道に入ると道はいくつものカーブを描きながら高度を上げていく。
窓を開けたわけではないのに、外を流れる緑の色が、少しずつ濃く、深くなっていくのがわかった。都心の白っぽい光が、山特有の、少し青みを帯びた光へと変わっていく。窓ガラス1枚を隔てただけの景色なのに、確かに空気そのものが変わっていくように見える。
窓を開けたわけではないのに、外を流れる緑の色が、少しずつ濃く、深くなっていくのがわかった。都心の白っぽい光が、山特有の、少し青みを帯びた光へと変わっていく。窓ガラス1枚を隔てただけの景色なのに、確かに空気そのものが変わっていくように見える。
バスを降りると、湿度も、匂いも、音の響き方さえも違っていた。急ぐ理由が、どこにもない。蝉の声さえ、都会で聞くものより低く、間延びして聞こえてくる。
坂を上りきると、視界がふいに開ける。箱根・強羅 佳ら久(からく)は、その高台にどっしりと構えていた。縦に並ぶ木調のルーバーが上層階の壁を覆い、片流れに大きく跳ね出した屋根の線が、空を鋭く切り取っている。背後に連なる山を前にしても決して控えめには見えない、堂々とした佇まいだった。近づくにつれ、ルーバーの隙間から西日が漏れ、木の陰影が壁の上で少しずつ角度を変えていくのがわかる。
この土地が拓かれたのは、明治27年のことだという。早雲山の噴気地から湯を引いたのが始まりで、大正8年に登山鉄道がここまで延びると、政財界や文人たちがこぞって別荘を構える避暑地になった。今からおよそ130年前、電気の冷房などまだない時代、人々はこの標高まで登って涼を得ていたことになる。
もっとも、当時のほうが平均気温は今より低かったはずで、涼を求める切実さで言えば、今を生きる私たちのほうがずっと必死なのかもしれない。冷房のない部屋で、ただ夏をやり過ごすことはもうできない。そんなことを考えながら、ロビーに足を踏み入れる。
もっとも、当時のほうが平均気温は今より低かったはずで、涼を求める切実さで言えば、今を生きる私たちのほうがずっと必死なのかもしれない。冷房のない部屋で、ただ夏をやり過ごすことはもうできない。そんなことを考えながら、ロビーに足を踏み入れる。
館内で過ごす森と水辺、心地良いふたつのテラス
森のテラスは、本館と別館のあいだに架けられた渡り廊下のような造りで、木のデッキの先には強羅の山肌がそのまま広がっている。据えられたベンチに腰を下ろすと、山と正面から向き合う恰好になった。眼下には強羅の山肌が広がり、風が通るたびに木々がざわめく。人の声はしない。あるのは葉擦れの音と、遠くで鳴く鳥の声だけで、しばらく動きたくなくなった。
木の匂いを吸い込むたびに、肺の奥のほうまで涼しくなっていくような気がする。誰かと言葉を交わす必要もなく、ただそこに座って、山の呼吸を聞いているだけで十分だ。
木の匂いを吸い込むたびに、肺の奥のほうまで涼しくなっていくような気がする。誰かと言葉を交わす必要もなく、ただそこに座って、山の呼吸を聞いているだけで十分だ。
館内を少し抜けた先には、もうひとつの水辺があった。浅く水を張った水盤の四方から、水が斜めに滑り落ちていく。さらさらと途切れない音が、あたり一帯に満ちていた。まっすぐな通路の上に立つと、水面には空と木々が映り込み、風が吹くたびにその像がゆっくりとゆらぐ。水音を聞くというより、水音を浴びるという感覚に近い。日中の暑さで火照った肌に、その音がひとつぶずつ触れていくようだった。
その水辺で外国人の夫婦とすれ違う。夕涼みをしていたのだろう、二人とも浴衣姿だった。目が合うと、どちらからともなく小さく笑む。「Beautiful, isn't it」と声をかけられ、こちらも短く「Yes, very cool」と返した。それだけの、ほんの数秒のやりとり。会話というより、同じ景色に足を止めた者同士の頷き合いに近い。
言葉を尽くさなくても、同じ水音と同じ涼しさを分け合えるということが、この場所ではやけに心地よく感じられる。
言葉を尽くさなくても、同じ水音と同じ涼しさを分け合えるということが、この場所ではやけに心地よく感じられる。
間で杯を満たす夜、湯に沈む夜
チェックインを済ませ、荷物を置く間もなくラウンジへ向かった。「間(あわい)」と名づけられたその場所は、自邸のようにくつろげる設え。低いソファがいくつも点在し、間接照明が壁を淡く照らしていた。
フリーフローの時間帯で、並んだ酒はどれも好きなだけ選べるのだという。迷った末に1杯、また1杯とグラスを重ねた。宿泊者それぞれが思い思いの距離感で過ごしていて、輪に加わらなくても居心地の悪さはない。氷が溶ける音だけが静けさを揺らす。
ほろ酔いのまま、部屋へ戻ると、バルコニーには、一人分の小さな露天風呂があった。窓の外から、蝉の声がひときわ大きく届いてくる。夕方の蝉時雨は、都会のそれよりも幾重にも層になって聞こえた。
湯に肩まで沈めると、強羅の湯特有の重たい熱がじんわりと広がっていく。ナトリウムと塩化物を含む、いわゆる「熱の湯」。芯から温まった身体は、外気に触れてもすぐには冷めない。夕暮れの空が、湯面にゆっくりと色を変えて映り込む。橙から紫へ、紫から藍へ。それを眺めているだけで、時間の感覚が薄くなっていく。
湯上がり、部屋に備えられた電気香炉でお香を焚いた。3種の香りから1つを選ぶ。立ちのぼる煙の香りに包まれながら、しばらくぼんやりする。湯冷めしない身体と香りに緩み、何も考えずただ座っていられる。
窓越しに、外の緑がぼんやりと透けて見える。境目なく隣り合っているソファに腰を下ろすと、ちょうど山の稜線が目の高さに収まるように設計されていることに気づいた。偶然ではないのだろう。座る場所、視線の先、光の入り方。誰かがそのすべてを、あらかじめ静かに計算していたのだと思うと、少し不思議な気持ちになる。
館内には、檜、岩、絹のように滑らかな湯という3つの貸切風呂も用意されている。それぞれに趣の異なる湯を、予約制で独り占めできるらしい。
光の入る部屋、季節を運ぶ皿
夕食は、和会席を「六つ喜」(むつき)でいただいた。
先付けは、身の柔らかな海老にからすみをまぶした1皿。冬瓜と白茄子、ミニトマトが淡い黄色のあんに沈み、削られた柚子の香りがふわりと立つ。
前菜は3つ。松茸と菊菜を出汁でさっと浸し、糸鰹をあしらった小鉢。鰻の蒲焼きは山葵とともに、琥珀色の出汁にひたされている。もう1つは、くみ上げたばかりの湯葉と白木耳を、合わせ胡麻酢で和えた品。似た色合いの3品が並んでいても、口に運ぶたびにまったく違う季節が現れる。
お造りには、その日仕入れた魚が並ぶ。土佐醤油、胡麻と生姜と葱を効かせた醤油、梅と昆布出汁で仕立てた煎り酒。3種の醤油を使い分けるだけで、同じ刺身がまったく違う顔を見せる。
1品目には、和牛の薄切り肉とトマトを甘辛い出汁で仕立てたすき煮を選んだ。溶いた卵にくぐらせると、湯気の向こうで肉の輪郭がやわらかくほどける。
2品目は、黒毛和牛の炙りと京鴨のロースト。フィレンツェ風の茄子と揚げじゃがいも、獅子唐が添えられ、からし、山葵、大根おろしの三種を、好きな濃さで使い分けた。自分でつける濃さを変えられるというだけで、同じ肉が何通りにも味を変えていく。
食事は、とうもろこしと桜海老を炊き込んだご飯に、赤出汁と香の物。甘味には、白桃とラズベリー、ライムが涼やかに並んだ。
窓の外はもうすっかり暗く、灯りを絞った室内に、器と箸の音だけが静かに響く。ひと皿ごとの間合いがゆったりとしていて、次の皿を待つあいだも、急かされる気配はまったくない。
食後、ショップ&ギャラリーにも足を伸ばした。器や小物が並ぶ小さな空間で、何かを買うわけでもなく、ただ棚のあいだを歩く。予定を詰め込まない旅だからこそ、こういう寄り道に時間を使える。
翌朝、露天風呂越しの靄から姿を現す「大」の文字
翌朝、まだ空が白みきらないうちに目が覚めたので、もう一度湯に向かう。今度は部屋の湯ではなく、展望露天風呂へ。
山の斜面に、大きな「大」の文字がうっすらと浮かんでいた。強羅の夏の風物詩として知られる、あの文字山だという。朝靄が谷を這うように流れていて、文字の輪郭は最初、ほとんど見えない。湯に浸かりながらじっと待っていると、靄が少しずつ薄れ、山肌に描かれた「大」の文字が、ゆっくりと姿を現していく。
誰かに教わったわけでもないのに、声を出さずに見入ってしまう景色だ。湯気の向こうで文字が完成する頃には、空もすっかり明るくなっている。
誰かに教わったわけでもないのに、声を出さずに見入ってしまう景色だ。湯気の向こうで文字が完成する頃には、空もすっかり明るくなっている。
ちなみに、展望露天風呂は2種類用意されていて、時間により男女入れ替え制となっている。時間が合えば、一度の滞在で両方の景色を楽しめるだろう。
朝食も、前夜と同じ「六つ喜」でいただいた。器の触れ合う音と、お茶が注がれる音だけが響く。誰も大きな声を出さない。窓の外で、カラスが浴びた水の粒が、光を受けてひとつずつ光っていた。湯気の立つ椀を両手で包むと、夜明けの湯の温度が、まだ指先のどこかに残っているような気がする。
朝食は和食と洋食から選べる。洋食を選ぶと目の前でオムレツを仕立ててくれるらしい。皿に届く直前まで鉄板の上にあったオムレツは、切り分けた瞬間に半熟の黄身がとろりとあふれるのだという。ハムやクロワッサン、赤いスープが添えられ、和の折敷とはまったく違う朝の顔を見せる。
ひと晩過ごしただけなのに、昨日より少しだけ、この土地に馴染んだような感覚があった。
仙石原の森の底に沈む、静かなポーラ美術館
その足で向かったのは、仙石原にあるポーラ美術館。近づいても、建物らしい建物が見えてこない。樹齢300年を超えるブナの木々や美しい木肌のヒメシャラの間に、輪郭が溶けている。地上部分の高さは、わずか8メートル。地下に沈むようにして建てられたその構造は、免震装置によって地面から浮いているのだという。地震からも、湿気からも、作品を守るための確かな工夫だ。
橋を渡り、ガラス張りのエントランスをくぐると、視界がふいに開ける。吹き抜けのロビーは地下2階まで見渡せて、外からは想像もつかない奥行きがそこにあった。光は上から静かに降りてくる。人の話し声も、ここでは自然と小さくなっていく。
展示風景:「あたらしい目—モネと21世紀のアート」ポーラ美術館、2026年、
撮影:中川周 ©Noémie Goudal Courtesy of the artist, Edel Assanti
and Artangel
この日の展示でまず最初に足を踏み入れたのは、真っ暗な1室だった。輪郭が不揃いに切り取られたスクリーンが壁一面に並び、シダや苔むした岩肌の映像が映し出されている。ノエミ・グダルという作家の作品には、近づいてもどこまでが現実の岩でどこからが映像なのか、しばらく判然としない。
撮影:中川周 ©Noémie Goudal Courtesy of the artist and Edel Assanti
展示室を進むとモネが描いた橋や睡蓮の絵の隣に、まったく違う時代の作品が掛けられていた。金色の額縁に収まったモネの緑と、その先の壁いっぱいに広がる、霧がかったような1枚。こちらも同じくノエミ・グダルの作品だという。距離を置いて眺めると、どちらからも似た靄が立ちのぼっているように見えてくる。
選ばれたモネの1枚が、何十年も後に生まれた作品と並べて掛けられているのだと思うと、時間の順序がふいに揺らいだ。
選ばれたモネの1枚が、何十年も後に生まれた作品と並べて掛けられているのだと思うと、時間の順序がふいに揺らいだ。
撮影:中川周 Courtesy of Felix Gonzalez-Torres Foundation
奥の部屋では、青い包みのキャンディが敷き詰められた床の上に、裸電球が連なる紐が天井から1本、静かに垂れ下がっていた。作品というより、誰かの記憶の断片に迷い込んだような部屋だ。
本展では、このキャンディをセーヌ河を流れる氷塊に、窓辺のカーテンでは凍てつく北風に、電球の作品を沈む夕陽に見立てているという。フェリックス・ゴンザレス=トレスは、愛する人の命や身体を、キャンディや電球といった素材で表した。キャンディの総重量は亡くなった人々の体重などに等しく、鑑賞者は1つ持ち帰ることもできる。
撮影:中川周
さらに進むと、淡い紅色の花びらが床いっぱいに散らばった部屋に出た。アローラ&カルサディーラの《接ぎ木》という作品だ。壁には、プルーストがジヴェルニーの庭について残した言葉が引かれている。花びらの中には、蜂の巣のようなものを頭に被った小さなブロンズの人影がうずくまっている。誰の言葉も要らない、静かな部屋だった。
照明は絞られていて、絵にだけ光が集まるように感じられた。会話をする相手のないただ絵の前に立ち止まる時間が、思いのほか長く続いた。
2日間で拾い集めた涼しさを持ち帰る
「あたらしい目—モネと21世紀のアート」 ポーラ美術館、2026年、撮影:中川周
屋内の展示を見終えると、外に出て「森の遊歩道」を歩く。全長およそ1km、木立のあいだを縫うように続く小径。木漏れ日が地面にまだら模様をつくり、歩くたびにその模様が動く。
しばらく歩くと木立の奥から白い靄がゆっくりと湧き出しているのが見えた。中谷芙二子氏による、霧そのものを素材にした彫刻作品だという。細かな霧が絶えず立ちのぼり、木々のあいだを漂っては消えていく。自然の靄なのか、作品としての靄なのか、近づいてもしばらく見分けがつかない。今朝、湯に浸かりながら見た大文字に立ちこめる靄と、どこかよく似ていた。
バスに揺られて坂を下るあいだ、来たときよりも景色をゆっくりと眺めていた。涼しさとは、気温計の数字ではなく、耳や肌がおぼえている感覚なのかもしれない。水面に映った夕暮れの色。水盤の縁を滑り落ちる水の音。朝靄から現れた「大」の文字。森の匂いと、木漏れ日の模様。
東京に戻れば、まだ蒸し暑さが待っている。それでも身体のどこかに、この2日間で拾い集めた涼しさが、しばらく残っているような気がした。
新幹線の改札をくぐる直前、もう一度だけ振り返る。山はもう、さっきまでいた場所を隠すように霞んでいた。言葉にしてしまうとこぼれ落ちてしまいそうな感覚たちを、そのまま持ち帰る。鞄の中には何も増えていないのに、両手はどこか満たされているような感覚で、電車に乗り込んだ。
箱根・強羅 佳ら久
所在地/神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-8
TEL/0460-83-8860 (宿泊予約お問い合わせ 10:00~18:00)
所在地/神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-8
TEL/0460-83-8860 (宿泊予約お問い合わせ 10:00~18:00)
公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館
所在地/神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
TEL/0460-84-2111
所在地/神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
TEL/0460-84-2111
取材協力:箱根・強羅 佳ら久、ポーラ美術館





















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