九島辰也のfrom EDITOR:「九島辰也と自由が丘ファミリー」復活かっ!?
彼はプロのミュージシャンだそうだ。と言っても詳しいことはよくわからない。とにかく十数年香港でミュージシャンとして活動していた。で、数年前に帰国。そんな彼に誘われた。聞くところによると、彼の中ではずっと「九島とバンドをやりたい」という思いがあったらしい。ありがたい話だ。きっかけは高校の文化祭。体育館で行われたバンド合戦である。
といっても当時僕が文化祭でバンドをやったのは音楽を演奏したいとか将来ミュージシャンになりたいとかいう理由ではなかった。僕が目的にしたのは文化祭のパンフレットに自分の名前をフルネームで載せること。ただそれだけを目標にバンドを結成した。もちろん、文化祭の実行委員でもやればパンフレットの後付けに名前は載る。三年生だからそれなりに自由に載せられただろう。が、それじゃ準備から面倒臭いし当たり前すぎてつまらない。もっと裏技的に名前を載せる方法はないかと考えた。思い立ったのはバンドをやることだった。自分の名前を付けたバンド名にすれば確実にパンフレットに名前が載る、と考えたのだ。内山田洋とクールファイブのように。17歳にしては?名案である。
できたバンド名は「九島辰也と自由が丘ファミリー」。僕以外特に自由が丘と関係がある者はひとりもいなかったがそうした。僕なりのホームタウン自由が丘へ対する愛である。今もプロフィールに〝自由が丘出身"」と記載するのはそんな理由だ。なので音楽性は……ない。個人的にディープパープルやクイーンや山下達郎やRCサクセションやオフコースを聞いていたが、それを演奏する気はなかった。というか、そんなの無理だから。なんたってギターもベースも素人。弾いたこともない人間に僕がコードを教えるくらいのレベルである。もちろんそれだけじゃ不安なので、キーボードとドラムを他のバンドから借りてきたけどね。
ということで、全曲歌謡曲というバンドが生まれた。トシちゃんとかマッチとかそんな感じ。よく覚えてないけど、明星とか平凡の付録を楽譜代わりにしていた。ただ、相当ウケたのは確か。どのバンドよりも体育館に人を集めたそうだ。
それが側から見て相当楽しそうに見えたのかもしれない。ミュージシャンである彼が卒業から40年近く経って僕と組みたいと話し始めた。
ということで、バンドを組むことにした。今のところギター、ベース、キーボード、そしてヴォーカルの僕を入れて4名。全員都立千歳高校第38期で、齢57歳となる。ドラムは募集中。はたしてこのバンドどうなることか。と、その前にバンド名決めないとね。「九島辰也と自由が丘ファミリー」復活かっ!? いやいやそりゃいくらなんでもダサい。バンド名も募集かな。